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①母校中学の練習会「柳棋会」とは~背景編~

私が通っていた西東京市立柳沢中学校では囲碁部月に1回、柳棋会(りゅうきかい)という練習会が行われています。

その記事を書きたいのですが、その前に背景を語る必要がありそうです・・・・


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柳中は公立の中学なのですが、囲碁界では有名な小松先生という先生が囲碁部を創設され、その発展に超絶尽力されました。

棋力は2級くらいですが熱意の塊のような先生で、生徒たちに囲碁の楽しさを教えてくれ、その環境を整え成長をサポートするようタイプの先生でした。


最盛期には、開成、麻布、筑駒、駒東、城北、国学院久我山等の強豪有名私立に対抗できる公立中学として名を馳せていたくらいです。

全ては小松先生のおかげでしょう。


社会人になって知りましたが本郷コーチという外部コーチを呼んでくださってたのも小松先生だったようです。

本郷コーチは3,4段と強く、小学生の頃からいつも私を鍛えてくれた育ての親で、第2の母という感じです。私が出会った人間の中で最も面倒見の良い菩薩の様な方!


中1の時に兄は将棋をしたくて「囲碁将棋部」に入ったのですが実は将棋など全くやっておらず実質囲碁部だったという。そのノリで兄は囲碁を始めたのでした(小松先生、将棋をエサにし囲碁部に引きずり込むパワー、すごいです)


しかもこの小松先生、社会の先生だったのですがどうやら授業の1回目は囲碁をすべてのクラスでやっていたそう。(小松先生、半端ないです)


実は私が囲碁を始めたのも小松先生のおかげです。

私が確か小5の時、母親と一緒に兄の囲碁合宿についていった際のこと、ハッキリ覚えています。

囲碁などルールもわからず退屈していた私に対して小松先生が「君が浅野くんの弟か、キミも囲碁をやりなさい」と無理やり座らされ…無理やり石取りのルールを教えてくれたのでした。。


当時は全く面白くなく、ここから半年ほどは囲碁の面白さが全くわからずあまりやっていなかったのですが、次第にその面白さに取り憑かれていくのでした。


浅野が小6の時、楽しさに目覚め小学校が終わるとほぼ毎日ヤギ中の囲碁部に潜入し、当時中3だった兄や、兄の同期の先輩たちにいつも勝負を挑んで打ってもらっていました。

(何故か有段者で強かった中3の先輩たちに無謀にも集中的に勝負を挑み、中1、2の先輩たちには目もくれず状態だったので今思うと生意気な小学生でした、、、)


浅野が柳中に入学したと同時に、最もお世話になった先輩や小松先生までもが転勤で近隣の中学に移ってしまいました。。大きなショックだったことを覚えています。


しかし小松先生は去っても本郷コーチが引き続き来てくれたのはとても大きかったです。


②母校中学の練習会「柳棋会」とは~参加録~に続く






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